読了

fig2006-11-10

ポーの話 



ゆれる 


どっちも読んだら落ちるなーと思ったけど、やっぱりひきずってしまった。
ポーは読みはじめて少しで「あ、これは濃い闇の話だ」とクーツェ並みに身構えたけど、やっぱりおもしろかったのでやめられず読んでしまった。あっというまに生まれて、笑って、あっさり死んじゃうんだよなぁ。いしいさんちに出てくる善良な人々は。今回もうなぎ女に天気売り・メリーゴーランドにひまし油。いろいろな魅力的でへんてこな職業や名前の人がでてきては消えてった。
いしいさんの話は一見メルヘンだがライフ・イズ・ビューティフルとは高々と歌わないし(性善説とも思えないしなぁ)、しょーがないよね。だけど明日もいきものはいきてるし地球は回るよ、っていう、あきらめ笑いにも似た、いとしせつなさが好き。基本的に泣き笑いというか。
ほんとに世界はへんてこで歪んでて残酷でいとしく美しくぶかっこうなものだと思う。なんでこんな話が描けるのだろう?というか脳内から他者へ正しく伝えられる形に定着できるのか。
このすべを学べれば、私もすこしは人に優しく生きられるのになぁー・・。


「ゆれる」は映画を見終えて、「これはいい映画ですよ」と進めてくれた恩師にすぐ後に借りた。映画の質感を忘れないうちに!


映画でも視線や細かい細かすぎる部分の観察眼に「監督こええ・・・」と才能と冷徹さに震えたが、小説はもっと容赦なかった。映画では傍にまわって凡庸で善良(世間的には)な人に思われた人まで、容赦なく自分を相手を観察しえぐり醜い部分もえぐっていた。
人間というのは絶対的存在はなく、絶えず他者との関連性のなかで存在・評価され?・みなされ・在り方が存在する。自分が決めたのではなく、他社からのレッテルで「みんながそう言うなら自分はこーゆーものなのかもしれない」と知らず知らずに演じているのかもしれない。
ただ、その他者との関連性は細い糸で繋がれていて、たえず揺れ動いている。
弟の真実も実は真実じゃなかったような感じだったし。
「誰の目に見ても明らかだ」「奪い続けていたのは自分で奪われ続けていたのは、兄だ」
長男次男の関係は私には分かり得ない部分もあるのかな。
映画では奔放で自分勝手な持論で生きる弟に目線を合わせて見ていたけど、兄の今まで演じてた善良で温暖な小さい世界なんて全部いっそ壊してやる、っていう破壊衝動も共感する。多分観客は兄と弟どちらにも絶えずまたゆれながら共感し続けていたのだろうな。
しかし香川さんの演技はすごかった!いつもの優しい兄と自暴自棄にだらしなくだらりと座ったときの落差。静かな狂気とのゆらぎ。最後のあの表情も。台詞なしであそこまで表現できるもんなんだなぁ・・・。オダギリジョーもよかった。証人台のところとか。
なんだろう。言葉でとてもひとことにまとまらぬ感情をていねいに目を背けずたどった話。
久々に映画らしい映画を見た。そして案の定へこんだ。